復活宣言

みなさま、お久しぶりです。
そして長い間放置していてごめんなさい。
自宅のネット環境が切断されてしまいました。
なので禁ネット生活してみてました。
特に禁断症状は出ませんでした。
いつかみたいにぐうたら生活をしていたわけではないので
日々の生活に追われていたら結果半月もネットしませんでした。
ありえない。めでたい。
でもなんとなく日課を放棄するのは、自分的規則に反しているので
今こうして仕事帰りに近所のネットカフェに立ち寄った次第であります。
ご了承くださいませ。


そうこうしているうちに私は仕事も、ひとり立ちし、
泣きそうだった研修も終え、今は心行くままに仕事をしています。
とても気分がいいです。働くって素晴しい。
仕事内容と報酬が見合っていればなお素晴しい。
夫も新しい仕事を始めました。
なので夜帰ってきて一緒にご飯食べて寝て、朝の小鳥のさえずりとともに目を覚まし、
夫を玄関で見送る、という理想的な生活をしています。
すべては良い方向に向かっているような錯覚に陥ります。
自分にとって正は錯覚だと思うように心がけています。
そうすれば後で否定せずにすむから。
だってすべては偽りだったと結論づけた方が生き易い。
錯覚といえば私は読んでる本の中に溶け込む習性があります。
読んだ内容がはて、現実であったか本の中での出来事であったか、
まるで分からなくなります。
夢もこれに然りです。本も夢も現実世界に似通ったものばかりだからなのでしょうけど。


久しぶりに書くとなると何から書けばいいのやら迷います。
久しぶりと云えば最近は、お久しぶりブームです。
小学校の友人に2年半ぶりに会ったり、
大学の学科の集まりで1年半ぶりに懐かしい面々に会ったり、そんな事をしています。
皆さま社会人二年目ともなると随分と大人っぽくなってるわけで感動します。
そんな中にもたまにじゆうな感じで生きてる人間とかが必ずいるわけですが、
そんな人が私を見るなり「同じ匂いがする。」とか言ってくるのが非常に失礼なかんじで憤ります。
でも彼らは正しいです。
だから「おまえと一緒にするな。」と突き放して実は繋がってる感を確かめ合ったりしてます。
まぁどうでもいいですこの話は。


前回書いた日記に靴の話を掲載しましたが続きがあります。
あれから数日後、夫は私を車に押し込め池袋まで連れて行きました。
そして手当たり次第に百貨店へ入って、私が気に入ったもの全てを購入してくれました。
それからさらに数日後、仕事から帰ってきた夫は再び大きな紙袋を二つ手にしていて、
その中にはまたもや靴数足と洋服が数着入ってました。
というわけであの一件以来、私の玄関には計7足の靴が増えました。
おかげで家を出るのが楽しいです。
どの靴を履こうかと選ぶ為に外に出かけているかのようです。
女子は女子なりの生活の楽しみ方があるようです。
こんなにしてくれなくても良いのに、とある日呟いたら
約束は約束。妻が泣いてるのに何もしないなんてできるわけない。
と言われました。


親にしろ祖父母にしろ今までの恋人にしろ何にしろ、
ここまで甘やかされたことがないので、怖いです。
自分が泳いでいるのはプールだと思い込んでいたのに、
実はそこは海で、知らぬ間に波に呑まれていたなんてことに為りかねません。
甘美と絶望は恐らく同時には生じないにせよ、ほんの紙一重です。
多分習字の半紙くらい薄い紙一枚の差でしょう。
水一滴でもその半紙を濡らすようなことがあれば、破れます。
破れないように濡れないように細心の注意を払いながら、
紙を厚くする努力をするのは至難の業です。
ですが紙を厚くしていくと今度は甘美と絶望の差が分からなくなります。
紙越しに何かに触れてもそれが何なのか自分の手ではもはや確認できません。
鈍くなります。
ほら、生きるって難しい。
私はとても臆病者で卑怯者で小心者で我が儘な生き物です。


というわけでこれからもよろしく。