ある種の決意

人間、余りに痛い事があると、その痛みから逃げる為に
違う痛みを自分に与えようとする傾向があるようです。
ここ数日と、余りにも精神的に痛すぎて、
自ら肉体的な痛みを得て、そちらに気を移行させようとしています。
リストカットやら自殺未遂やらではないのでご心配なく。
そしてこういう時に限って色んな世代や色んなフィールドの人と、
会う機会があって、気が紛れるというものです。
人生前向きになれたりする瞬間があったりします。


私は彼との結婚を考えていました。
彼もそれを望んでいました。
しかしこの日記にも綴ってきたように私達の間には問題があります。
一緒に暮らし始めた当初、彼は私とは一緒になる事はない、と
きっぱりと言い続けていました。
しかし二ヶ月程経った時に、彼は私にプロポーズをしたのです。
それはもしかすると私を受け入れられる準備が出来た事を
意味したのかもしれなかったし、
或いは一瞬の気の迷いからかもしれませんでした。
とにかく私はそれがどんな理由から出た言葉であっても、
私は彼をどんな姿形であろうとも、受け入れようと決意していました。
彼と私が今まで行き違う事があったとすれば、
すべて起点は一つでありました。
問題は私自身の物、それを受け入れられないのは彼自身の問題。
そういった為す術もない問題を其々に抱え、
私達は暮らしていました。
逆に言えばもしかすると、困難な問題に直面すればするほど、
その問題を乗り越えたいというある種の人間の挑戦的姿勢が、
二人を繋げる唯一の絆であったかもしれませんでした。
私は基本的に一緒にいる男性に対して、
生意気な事を言ってみたり、挑戦的な態度を取ってみたりして、
相手を試すような事はしません。
それは、自らその存在を失う恐怖からくる服従だったり、
自分の忍耐一つで二人の関係が円滑にいくのであれば、
それはとても容易い事だという考えから至るものであったりました。
私は彼に絶対服従の形を取り、
私自身それを受け入れていました。
ある友人には、「彼との予定が入ったから今度の約束を延期して欲しい。」
的なつまらない女になって欲しくないと言われ、
私と彼の関係を客観的に考えるようになりました。
ある日私は、女友達と優雅なランチをする約束をしたことがありました。
いつも彼女と会う時は、池袋と決まっていたので、
いつもは行かない場所へ、お洒落をして行こうと
前日の電話での会話で約束をしていました。
翌日、彼女との約束の場所へ向かおうと家を出るときに、
私を見た彼は、私が休みのその日にそのような格好をして
家を出かける事に対して、
「女友達と会う」という私の言葉を信じず、
家から出る事を許可しなかった事がありました。
私が「一点の曇りもない白」と言っていることに、
彼は断固として「真っ黒」と信じて疑わなかったのです。
その時の空気や彼の言葉や彼の顔は、たぶん彼と別れるまで、
いや一生忘れ得ない情景であることは間違いありません。
それがある種のこの恋愛で受け負った傷であったかもしれません。
そういう小さな問題が、私の彼への気持ちを、萎縮させていったのかもしれません。
私が彼を好きだという事実は今でも変わりありません。
しかしいつの日からか、彼が私を信用していない事を感じ、
信用を勝ち取る為に積極的行動に出るではなく、
信用をこれ以上失わない為に、彼の前で彼の予想の範囲を超えた
一挙一動すらをも出来ずに、閉塞感を感じていました。
私自身も、自身の予想の範囲を超えた彼の行動を目にすると、
彼同様、彼を信用出来ない私も居ました。
最早、建設的で健康的な関係ではなく、
全く以って不健康で、非生産的な関係でした。


私自身、今のこの関係を続けていくべきなのか迷っています。
「好きだから別れた」
そんな言葉を友人や、本などで目にする度に、
そんな事あるわけがないと思っていました。
でも今の私には当てはまる言葉かもしれません。
彼の前で自由に自分を出せずに、閉塞感を感じているのなら
もう答えはひとつなのかもしれません。
その前にもう一度彼と向き合って、
この関係を、この未来を、
もっと良いものに出来るものならそれに向かって努力してみたい、
最後にもう一度そう足掻いてみたいと思うのは、
私の勝手でしょうか。
きっと自然な事だと思います。
そして私はきっと近いうちにそのように、
行動に出るでしょう・・・